著者は唐の二代皇帝・李世民。書名通り、指導者の範となる一冊。

指導者に読み継がれてきた典籍

有名なものに唐の太宗と側近との問答をまとめた『貞観政要』があり、その他太宗が三男・治に与えた『帝範』なども、帝王学の典籍です。具体例として、こちらでもいくつか内容を取り上げます。

帝王の起るや、必ず衰亂を承け、彼の昏狡を覆し、百姓、推すを樂しみ、四 海、命に歸す。天授け人與ふ、乃ち難しと爲さず。然れども既に得たるの後は、志趣(きょう)(いつ)す。(中略)國の衰弊は、恆に此に由りて起る。斯を以て言へば、守文は則ち難し、と。(貞観政要)

創業と守成のいずれかが困難なことか、李世民の側近・魏徴が述べたものです。古今東西、創業を成し遂げた者は数知れませんが、守成を貫徹した者はほとんど存在しません。その理由を、創業を成し遂げ慣れてくると必ず気が緩み、贅沢になったり、やりたい放題になったりするからであると魏徴は言います。国家が衰退していくのは常にこれが原因であるとまで言い切っているくらい、守り継いでいくことは難しいのです。

古よりの帝王を觀るに、憂危の閒に在るときは、則ち賢に任じ諫を受く。安樂に至るに及びては、必ず寛怠を懐く。安樂を恃みて寛怠を欲すれば、事を言ふ者、惟だ競懼せしむ。(中略)聖人の安きに居りて危きを思ふ所以は、正に此が爲なり。安くして而も能く懼る。豈に難しと爲さざらんや、と。(貞観政要)

これは「安きに居りて危うきを思ふ」という守成の要諦を言ったものになります。上記同様、魏徴の言葉です。安定していなかったり憂慮したりするような間は、誰でも優れた者を登用し耳も傾けます。ところが安定し慣れてしまうと、必ず怠ける心が出てきます。これを放置して安楽を求めるようになれば、諫めてくれた者も何も言わなくなってしまい、後は凋落していくだけです。安定している時こそ、危機に陥った状況・万一の時のことを考え用意しておく…これが「居安思危」。『貞観政要』中に繰り返し出てくる教えであり、組織を長久に保つ秘訣です。

明君は傍く俊乂を求め、仄陋を捜揚す。卑を以て用ひずんばあらず、辱を以て尊ばずんばあらず。(帝範)

明君は広く人材を求め、在野の者や貧賤の者でも探し求めねばならない。例え卑しい身分であっても、辱しめを受けたような人物であっても、用いなかったり馬鹿にしたりしてはならない―

太宗の言葉で、広く人材を探し求める必要があると教えたものです。この言葉の後に、古代の名君を補佐した名臣のうち、卑しい身分の出や前科持ち、辱しめを受けた人物を事例に紹介し、求め方の理由を述べています。世に名馬―人材は多くいても、それを見抜く伯楽―見抜く人は多くありません。指導者がなるべきは名馬ではなく伯楽で、「人を見る目」を鍛える必要があるのです。

このような、上に立つ者が備えるべき素養を教えるのが帝王学です。